二十歳

女の人は男の人より年齢に対するコンプレックスが強いけど、わたしはその女という括りの中でもとんでもなく上位にいる(と思う)  どのくらい嫌かって、誕生日前日は歳を取るのがつらくて仕方なくて一人で泣いてるくらい。

中学生の時は高校生の大人びた雰囲気が羨ましくて、高校生の時は大学生の自由で何の制限もなく好きなことをできるのが羨ましくて、大学生になって3年経った現在、社会人になりたいなんて微塵も思わない。年齢を重ねて自由を獲得するにつれて何をしたらいいか試行錯誤の繰り返しで、むしろ息苦しくなってるような、そんな気がしてならない

 

何度も言ってるのですがハタチまでに死んでる予定だったんです。本気で。若いうちに死んだ方がいいし、わたしなんていなくなっても変わらないし、誰かに大きな影響なんて与えてこなかったし、必要とされた瞬間はあれどそれは一時のモノであり、どうしても時間が風化してしまうので。忘れられるんだったら早いうちがいいかなっていう…謎の理論

どうでもよかったのだ 他人を通してでしか自分を評価できない自分なんて価値はそこにないし自身で感じられないなんて意味が無い。自己肯定感はずっと低いな、だから人に好意を持たれると「なんでこんな自分好きになるんだろう、わたしみたいなクズ好きになるなんて頭がおかしい。この人とは無理だ」と解釈してしまう。これ蛙化現象っていうんですって

何度自殺未遂したことか分かりません

それほど生きているのが辛い20年間でした。

勿論楽しい思い出もあるけど辛いことのが圧倒的に比重を占める人生 うまくいってるかも、と思った矢先にまた精神科通いに戻る。どういう仕打ち?なんか悪いことしたかなぁ、、  なん年前かのツイッター遡ったりするけどわたしなんも変わってねー!常になんかに依存してる!自立したい切実に。でもまぁ、根はどう頑張ってもそう簡単に変わるものではないと痛感したね 

 

あと今年は働くことをやめました。これは吉と出てるのか凶と出てるのか未だにわからんが、とりあえず親の脛かじってるよ^_^だめな娘でごめん〜  

今年こそ死んでやる!って意気込んでたけど、結局しなないっぽい。生きてるだけで偉いゾーン入ってるからほんとに快挙。メンヘラは人一倍生に執着する。

そして今日という日を迎えている。

 

でもわたしなんだかんだまだ生きると思うのです

大切な人がいるし、わたしが思ってる以上に心配してくれたり、死んだら大体の子は1日足らずで忘れると思うけど3日くらい引きずってくれそうな子もいるっちゃいるだろうし、死なないでって泣かれたりもしたし…鬱になるとこういうこと考えられなくなっちゃうんだけどさ。でも生きててって言ってくれて支えてくれてるんだからさ、期待に応えたいよねーわたしだって幸せになるまで死にたくないよ!

 

今日まで関わってくれた人ありがとうございました、100%迷惑かけますが、これからのぼくも宜しくお願いします。

20さいのマイちゃんより